LOOBワークキャンプ&スタディツアー

ワークキャンプ&スタディツアー記録
Archive for Workcamp and Studytour

第16回ギマラス島ワークキャンプ

ワークキャンプ:完成した水飲み場で 期間:2006年8月3日~8月13日
開催地: ギマラス島ヌエババレンシア
参加者: 日本人8名、比人4名、スタッフ十数名
活動内容:
・ワーク(高校の上水道設置)
・ホームステイ
・高校で日本文化紹介
・フレンドシップナイト
ワーク・プロジェクト(再定住地域のための井戸掘り)

(写真上)第14回ワークキャンプに続くサルバシオン公立高校とのコラボ第2弾。前回のワークで設置した上水道タンクから、校内に2ヶ所、コンクリートの水飲み場を建設しました。
(写真右)早速、生徒が水を使ってくれています。貴重な貴重な飲料水。学校側もメンテナンスを約束してくれています。。

参加者の声 1. MANA

たった10日間、でもこの10日間は私の人生でかけがいのない10日間になりました。私のこのワークキャンプへの参加の当初の目的は、発展途上国の情勢に興味があって、現地で生活することでそこでの文化を体験し、人々と関わり合いたいということでした。この目的が果たされたということは言うまでもありませんが、私はこのこと以上にたくさんのことを感じさせられ、何度も考えさせられました。それは、日本で何気ない大学生生活を送っていては到底考えることすらできなかったことだと思います。

まず、このキャンプで一番考えさせられたことは、貧困問題です。しかし、このことを貧困と呼んでいいものか、ためらいがあります。それは、お金がなくてもタラバハンの人たちは、とても温かく、そして私から見た限りとても心にゆとりがあり、とても幸せな生活を送っているようにも見えました。私は幸せの価値を測るために、お金は必要ではないと分かっていましたが、ある一定条件のお金があることが前提でなければ、やはり生きていく上で、幸せとは言いがたくなるものなのだと思っていました。

タラバハンで私がホームステイした家は、テレビも繋がっていない、井戸もない、電気も電球が2~3個という家庭でした。しかし、私はその家での生活に貧しさや、不便さを感じませんでした。タタイやナナイ、そして子供たちの温かさに触れ、心に余裕が生まれ、とても幸せな気持ちになりました。そして家族は異国から来た私たちを本当の家族のように出迎え、そして家族のように接してくれました。お金がなくても、私たちを精一杯もてなしてくれた家族に心から感謝しています。

しかし、貧困だからといって幸せな生活は送れないかもしれない、という自分の考えはタラバハンに来てなくなりましたが、タラバハンの人たちはやはり金銭面では非常に厳しい状況です。マニラやイロイロ市での様子を見て、格差社会を痛感しました。タラバハンの人たちは飲み水を井戸から汲んでこないといけない、具合が悪くなってもすぐに医者にみてもらうことはできない。私が 10日間過ごしただけでは、やはりはかり知れない苦労があります。これらを少しずつでも解決し、タラバハンの人たちにはより幸せな生活を送ってもらいたいと思いました。

また、タラバハンの生活を通して、世界にはこのような村がいくつもあるんだと改めて実感しました。もしかしたら、タラバハンの生活よりもひどい生活をしている人もいるかもしれません。先進国である日本はやはり生活やお金に余裕がある分、そのような現状を理解し、そして支援を行っていく必要があると思いました。国自体で支援というより、もっと個人的な支援が必要だと思います。

例えば 100円の募金などのように、金銭的な支援でも構わないと思います。日本人はもっと自分たちは裕福な暮らしを送っているんだということを自覚し、日々の衣、食、住に感謝しなければなりません。少なくとも私はタラバハンに来て、日本人が裕福な生活を送っていることを改めて理解し、そして日本に帰った後も食事などに感謝するようになりました。日本人一人一人にもっと発展途上国と先進国間の格差問題に目を向けてもらいたいのです。また、自分たちの生活は決して普通なことではない、世の中にはもっと苦労して生活している人がいる、ということを知ってほしいのです。私はもっと日本人にこのような気持ちを持ってほしいと思いました。このキャンプを終えて、私が日本に戻って何ができるか、そう考えたとき私はこの気持ちを多くの日本人に持ってもらうため、タラバハンでの生活をたくさんの人に伝えなくてはいけないと思いました。

鳥や豚を殺しその命に感謝し、雨が降ったら井戸水の心配がなくなって天に感謝し、このようなことは、タラバハンに来なければ一生分からなかったと思います。私はこの気持ちを忘れないようにしたいと思います。 私の中でボランティアとは、微力ながらも発展途上国のために何かできることがあるなら協力することというような考え方をしていました。援助する側が一方的な支援のみで、何も得るものはないと思っていました。しかし、私はほんとに多くのことを村の人たちや家族から教えてもらいました。ボランティアとは「してあげる」ということではなく「させてもらう」ものであるということが分かりました。私はこの 10日間の生活を一生忘れません。ここで学んだことの多くを、家族やいろんな人に伝えたいと思います。

LOOBのみなさん、タラバハンのみなさん本当にありがとうございました。

参加者の声 2. ATSUSHI

このキャンプに参加しようと思った動機は、大学3年になって周りと同じように生活していて、なんか今の生活に納得いかなくて、今までとまったく違う環境に身を置いてみたいと思ったということ。せっかくだから人の役に立つことをしたいと思い、適当にネットサーフィンをしていてたまたま見つけたのが LOOBだった。英語はあまり得意ではなかったので不安は多々あったが参加を決意できたのはなんなのかはよく分からない。これも運命だったのかなと思う。

実際参加してみて、この旅は僕の人生観を変えるものになったと思う。このたびで過ごしたすべての時間、すべての経験はかけがえのないものだった。

ワークではきっちりやることはやりつつそれでいて笑いも絶えず、とても楽しみながら出来た。なんでもこなしてしまうフィリピンの人たちはカッコよく、自分もいろんな引き出しを持ちたいと思った。もっと生徒たちに話しかけて交流できればさらによい経験になったと思う。自分から積極的に動けるようにしようと思う。

ホームステイはこの旅の中でもっとも大きな経験だった。初日から温かく迎えてくれた家族はとても居心地のいい場所だった。やはり現実として貧困という問題はところどころ見て取れて、居た堪れない気持ちにはなった。でもそこにはいつも一緒に笑顔でいる家族とたくさんの子供たちがいた。日本ではだいたい自分の部屋にいて、家族と顔を合わせる時間がとても少なかったように思う。

タラバハンの家族と過ごした時間はとても幸せなものだった。子供たちは最初、得体の知れない日本人の成人男性2人に警戒しているような感じだった。でも1日も経つと不思議なほど馴染んでいた。毎日ベースまで迎えに来てくれとても愛おしく思い、このことで自分の子供が出来たら確実に溺愛することを確信した。

家の生活はすべてに自然を感じた。朝早く起きての薪割り、それをバナナの皮で束ねる。日本にいたら間違いなく寝ていただろう。食事もティトが獲ってきてくれた魚だったり、家もトイレも竹やココナツの葉っぱ。日本からのお土産でお菓子をあげて小分けの袋のゴミが出た。ゴミ箱に捨てていいよと言われたけど自然に還らないこれはいったいどうなるのか、少し罪悪感を抱いた。

家族との生活ではいろいろ考えさせられることがたくさんあった。幸せにお金は関係ないって言葉はたまに聞くけど偽善だと思っていた。でもタラバハンでの生活の中では貧しくてもホントに幸せを感じた。日本で十分以上にモノに囲まれた生活を送れるからこそ感じた幸せかもしれないとも少し思った。でも日本に帰ってきて2週間以上(提出期限過ぎてごめんなさい)経つけど虚しさというか物悲しさを感じる。タラバハンでの生活はホントに幸せなものだったと確信した。

フィリピンで過ごした11日間は人生で一番密度の濃い日々だった。少なからず僕の人生に影響を与えることは間違いないと思う。今まで僕は国際的な活動というのはどこか自分とは違う世界だと考えていた。きっと日本の企業に入るし英語も必要ないだろうと考えて人並み以下くらいしか勉強してなかった。とりあえず自分の将来はじっくり考えるとしても英語は多少まともに話せるように勉強しようと思う。

そして今、頭をよぎるのは重油流出事故のこと。会う友達には少しずつでも話していって興味を持ってもらえるようにしてもらうとして問題は現実の支援。自分に出来ることを考えて少しでも島の人たちの役に立つことをしたい。あの幸せな生活を絶対に壊させてはいけないと思う。島のすべての人たちに笑顔が戻ることを心より願うばかりです。

参加者の声 3. SHOTA

今回僕はギマラス島のワークキャンプに参加して本当によかったと心から思える。21年間生きてきて、これほど自分の人生観や価値観を揺れ動かされるような体験を、僕はしたことはない。ギマラス島のタバラハンについた初日、まずはその予想以上の貧しさに驚かされた。僕のホームステイの家はこれまた予想以上の貧しさ。唯一の電化製品といえば、2つの電球とラジオのみ。まさにウルルンだった。正直焦りました。

しかしホストの家で寝泊まりをし、子どもたちとじゃれ合い、団らんをするなどを通じて僕のホスト家が本当に幸せそうな家族であることがわかった。今まで見たことないような本当に暖かい家族だった。本気でこのような家族を築きたいと感じた。またワークや毎日の食事などの、日々の生活を送る中で、現地の人々と様々な場面で触れあうことを通して、そこに暮らす人々の日々の生活の充実感など様々ものが伝わってきた。本当に幸せそうに毎日を生きていた。最初はどこか彼らのことを哀れんでいた自分が、本当に小さく見えた。たとえ貧困でも毎日を幸せに切り抜けていくたくましさやその人生観が、本当に心から羨ましかった。あのように生きてみたいと思った。

当初は正直、何かを「してあげる」という気持ちがあった。この村のために貢献してくるんだと。しかし終わってみれば、何かを与えるどころか数え切れないほどのたくさんのものをもらった。これまでの裕福=幸せ、貧困=不幸せという自分の中にあった価値観を、キャンプを終えた今はあまりにも小さい価値観だったと断言できる。自分がいかに偏った考えの持ち主であったかを理解できたことが、今回与えてもらった一番の宝物だ。

僕は今後、自分がこのキャンプで得たもの感じたものすべてを何らかの形で自分の周りの人々に伝えていきたい。それが少しでも現地の人々への恩返しになると思うから。また、僕自身は機会があれば是非またキャンプに参加したい。そしてまだまだ早いかもしれないが、いつかはスタッフとして参加したいと強く感じている。そのためにもまず、もう一度一番苦手な英語に挑戦しようと思う。

最後に、ここまで僕がこのキャンプを通じて成長できたのは、スタッフ、キャンパー、現地の人々すべての人の協力があったからです。本当に感謝してもしきれません。この成長を決してムダにしないように頑張ります。本当にありがとうございました。 Salamat!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

参加者の声 4. KEIKO

 日本に帰りたくない。と思うほど、どうしてフィリピンが、タラバハンが好きになってしまったのか、それは「笑顔」と「おもいやり」と「やさしさ」があったからだと思う。フィリピンにいた 10日間を思い出してみれば、大人も子供もみんな笑顔だった。特に、私には大人の笑顔が印象的だった。

このキャンプに参加する前は、「私は日本に生まれてきて幸せで、恵まれた生活をしている」と思い込んでいた。確かに親は2人とも元気だし、学校も大学まで通わせてもらっている。自分がしたいと思ったことはできるし、欲しいと思ったものも手に入れることができる。しかし、キャンプに参加してみて、物質的・金銭的な豊かさだけが幸せではないのだと肌で感じられた。タラバハンには愛が溢れていたし、笑顔も溢れていた。「マアヨン・アガ」と挨拶しあうだけで、私は幸せになれた。大人になっても日々楽しんで、笑っていられる生活がそこにはあった。日本にそれがないとはいわないが、大人の本物の笑顔に出会うことは少ない。幸せな社会というのは、大人の笑顔がある世界かなと感じた。

「おもいやり」や「やさしさ」も沢山もらった。私のホストファミリーはあまり口数が多くなかった。でも、だからこそ感じられる愛をいっぱいもらった。必ず毎日 へ迎えに来てくれるナナイとbrother、sister達。私の拙いイロンゴをフフっと笑ってくれるタタイ。いつの間にか寄ってきてくれている子供達。スタッフ達は、打ち解けられるように色々企画を考えてくれ、困ったことはないかといつも心配してくれた。キャンパー達も一緒になにかひとつのことを成功させよう!という意気込みで頑張った。

School ActivityもFriendship Nightも、もちろんWorkも本当に楽しかった。Workは高校生たちのために作った。というよりは、自分のために作ったという気持ちが大きかった。作る過程で沢山のことを学んだ。どうやったらみんなが楽しく作業できるか考えてくれているスタッフ達の気遣い。相手のペースを思いやりながら、交代で作業するコツ。次に何をするか考えながら行動する必要性。体の使い方、道具の使い方。普段の生活からはあまり学べないことを一気に学べた。

私は今、開発経済の主に農村開発について勉強している。しかし、タラバハンでの生活で貧しさというものを考える機会はあまりなかった。むしろ、マニラで散歩しているとき、イロイロのスモーキー・マウンテンを見たときに大きな衝撃を受けた。物乞いをしにくるストリートチルドレン達。半分崩れかけた家。ごみ山で生活しなければならない子供たちが考えていたよりずっと幼かったこと。

そして日本の援助についても少し考えた。使われていない工場や機械。スモーキー・マウンテンの入り口に転がっていた機械は日本から来たものだと説明があったが、そのときは稼動していなかった。ギマラス島の海岸沿いにあった工場も今は操業していない。 JBICがお金を貸与して建てた高校の建物は確かに立派だったし、綺麗だった。しかし、こんな立派な建物は建っていても、なぜ水のみ場はなかったのか。どんな援助が必要で何が効果のある対策なのか、考え直すきっかけになった。

私が今できることは何なのか、次にフィリピンに帰ったとき、今回もらったものを少しでも返せるように、一回り大きな自分になろうと思う。愛を愛で返せる自分になりたい。