LOOBワークキャンプ&スタディツアー

ワークキャンプ&スタディツアー記録
Archive for Workcamp and Studytou

第2回スタディツアー

期間: 2002年3月23~30日
開催地: ギマラス島ヌエババレンシア
参加者: 日本人11名、比人5名、スタッフ十数名
活動内容:
・井戸のポンプ設置/チャペルのイス作り
・ホームステイ
・現地小学校訪問
・マニラ市スモーキーマウンテン訪問/・ストリートチルドレン保護施設訪問
参加者の声 1. Megumi(23)

スタディツアー:ホームステイ先の子供と■1 「子供たち(居候の私たちも含めて)の洋服や下着を洗濯してると幸せな気分になるのよ」とナナイがあるとき言った。「10人も子供がいるうえに2人も居候が増えたっていうのにウソやん」と正直思ったが、ナナイのこの言葉はとても印象的に心に残った。毎朝の水汲み、炊事、洗濯などの家事、生計をたてるための仕事。あらゆる形の労働はこの村では家族という小さな単位を支えるためにあるんだという当たり前のことがしみじみと実感を伴って感じられた。毎朝、お湯のシャワーが浴びたいなーなどと思いながら浴びていた水も、お兄ちゃんや弟達が井戸から汲んできてくれたものだと分かると、とてもありがたいものに思えた。 私のホストファミリーはパン屋を営んでいた。10人いる子供たちのうち下の小さな弟や妹たちも含めて一家総出で昼夜問わず一日中交代しながら、自宅にある小さなパン工場を稼動させていた。12人の家族が生活を営むため、そして長男たった一人を大学に行かせるためにだ。当たり前のように蛇口をひねったら水が出て、スイッチ一つ押せば洗濯機が回って、当たり前のように大学に進学できて……日本で当然のように享受していることがここでは全く当たり前ではなくて、でもそれを当たり前と思える状況が必ずしもよいとは限らないのかもしれないと思った。当たり前ではないからいろんなことに感謝する気持ちも生まれてくるわけだろうし。そうやってあらゆることに感謝することが、家族の結びつきをこんなにも強くすることにつながっているのかなぁという気がした。

■2 村、都市、貧困のレベルによって暮らしや価値観がほんとうに様々だということを感じた。全体を通してやはりフィリピンは貧しい国という印象がぬぐえなかった。そのしわ寄せは子供や、貧困層など最も弱い立場にいる人々に影響を及ぼしがちだということも。ストリートチルドレンの存在はマニラに来てみてやはりショックを受けることの一つだった。決して裕福とは言えないけれど家族の愛情を一身にうけて育っているタラバハン村の子供たちに出会った後で、親をはじめ、大人たちに道具にされたり、見放されたりしたストリートチルドレンを見ると明るく振舞っているように見える彼彼女たちが子供ながらに背負わされてしまっているものの重さを想像して辛くなった。ストリートチルドレンの問題を解決する力が国にないこと、ゴミの山がなくなると生活に困る人が出てくるというのもかなりおかしな話だ。おばちゃんこと穴田さんの話を聞いていてフィリピンには山積する問題の解決に向かっていく力(あるいはやる気?)が明らかに不足していると思った。歴史のことは詳しくは分からないけど、常に何か大きな力に翻弄され続けてきた結果がこの荒廃ぶりなのかという気もする。でも、なぜかみんなの顔が明るく見えて、不思議だった。その謎はまだ謎のままです。

大きな力といえば、文化的にアメリカの影響がかなり濃いこともその表れなのかなと勝手に思ったりした。スーパーの棚を見ても並んでいるのはアメリカで目にしたことがあるものばかり。目に見える部分でのアメリカの影響の大きさはタラバハン村ですら感じられた。フィリピン独特の文化って結局のところなんだったのか今ひとつわからなかった。なんでも吸収してしまうあたりが、フィリピンらしさなのかな。ブリトニースピアーズが大好きで、いつかじゃぱゆきさん(彼女らはエンターテイナーとしてとらえられている)になりたいと無邪気に話すタラバハン村の女の子を見ていて子供達がフィリピン人としてのアイデンティティをどんな風に持っているのかを知りたいと思った。世界中にフィリピン人移民が多いのは政治的、経済的に不安定な国を抜け出すため、という理由がほとんどだと思うけど、異文化に対してそれほど拒否反応を示さない気質が移民を容易にさせているのかもしれないと思ったりした。世界中にフィリピン人移民がなぜこんなにも多いのかを知りたかったというのがフィリピンへ来た理由の一つだったので、自分なりに考える手がかりができて良かった。

■3 とりあえず、帰国してから私はフィリピンで見てきたことを周りの人に喋りまくった。私の周囲の人たちには「フィリピン=危険」、または「フィリピン=バナナ」というとんでもなく一面的なイメージでしかとらえられていないから。とりあえず今後もいろんな形でフィリピンのことを知ってもらいたいと思う。それに対して私がどう具体的に行動できるかというのは目下考え中。フィリピンの状況を目にして、貧困から抜け出すための力は子供達にこそ必要だと感じた。人生を自分の力で切り開いていける実感を得られるのも教育だと思うから。だから、フォスタープランに協力しようと思います。うちのホストファミリーがそのいい例だと思うけど、教育の中でも高等教育を受けられる人がまだまだほんとに少ない。そのために何かできればとも思うのだけど。

参加者の声 2. Kenshi(22)

スタディツアー:ホームステイ先の子供と■1 はっきり言って過酷でした。マジで。一日目の夜、僕は主催者の人に文句言うつもりでいたのです。 「なんで蚊帳あんなにちっちゃいねん!!」、とか・・・。
ただ、日一日と村の生活に慣れていくにつれ、「人間とはかくあるべき」みたいな、心が浄化されていくような気分を感じました。もちろん、水道はない、電気と呼べるものはないといってもいい、言語わけ分からん、といった不自由な面がいっぱいでしたが、それは、言うなれば生活の「付属要素」であって、人間が生活していくうえで最重要の項目ではなかったように思います。
日本でいるには、気付かないだろう事柄ばかりでしたが、逆に、日本でいることには得られない経験がそこら中に転がっていたように思います。
言葉では言い尽くせないことばかりだったので曖昧な表現ばかりですが、出来ればここにずっと居られたらと思える生活でした。

■2  あっつ~。どこ行っても。って冗談で・・・。
これもしっかりとした知識がないことには言えないことなんでありきたりな事いうと、「貧富の差」をひしひしと感じる国でした。例を挙げるなら、日本国内では決定的な貧富の差なんてなかなか見られるもんじゃないでしょう。ところが、フィリピンという国では、歴然とした差が感じられるのです。貧しいものはその日一日をどうにかしのぎ、富めるものは一日を優雅に過ごす。世界の縮図みたいなのを同一国内で見られるわけなんです。やっぱりちょっとショックなもんでした。
それと都市にいる人間と村に住んでいた人たちの目の違い。これは本当に驚かされました。村の人は大人も子どもも目が本当にきれい。澄んでる目って言うんでしょうか。都市にいる人間がみんな死んだ目をしているとは言えませんが、疲れていたり、血走っていたり・・・。
全てにおいて「差のある国」ってとこでしょうか。

参加者の声 3. Junko(27)

スタディツアー:ホームステイ先の家族と■1 着る服が不足していたり、水は毎日汲まなかればならなかったりと裕福な生活ではありませんでした。でも、HomeStay先に帰る途中、HostMotherは、「家族と一緒に暮らしてみんながいて、貧しいけれど幸せだ」と言っていました。それは本心だったと思います。私は"Are you happy?"と聞かれ、"Yes"と答えながらも、戸惑っていました。贅沢すぎる程の生活をしているにも関わらず、自信を持って、Happyだと言えなかったのです。タラバハン村の人達は、不足している物があっても、多少の苦労があっても皆明るくて、「幸せ」が何かを知っている人達だと思いました。ただ、子供達が「何かをしたい」 「何になりたいと」 思った時に、少しでも選択肢が多い方が良いと思っています。その為には学校に通える環境になって欲しいと感じています。

■2 格差の大きい国だと思います。Makatiの中だけでも身分の格差があると感じていましたが、今回のStudyTourに参加して、もっと大きな違いがあることを痛感しました。人柄は、ラテン系ののりで皆明るいです。JoinUsの精神が私は好きです。ほぼすべての人が英語が話せますし、語学の能力が非常に高いと思うので、もっと成長する可能性があって、成長して欲しい国です。(企業人としての意見でしょうか?)

■3 フィリピンという国を仕事からだけではなく、もっと深く知っていく第一歩にしたいと思っています。自分ができるのは、ほんの小さなことに過ぎませんが、子供達の可能性(選択肢)を広げる手伝いができればと思っています。そして、自分もHappyだと言える生き方をしようと、思っています。

参加者の声 4. Yoshihiro(21)

■1 短い期間だったが自分の体質に合っていて日本にいるよりも快適に過ごせた。村全体が大きな家族で協力して生活しているのには、正直面食らったがそれと同時に素晴らしい事だと感じた。ホームステイ先では、家族一同とても良くしてくれたけど少し客人扱いのように接しているように感じてそれが不満だった。だが、家族のありがたみを教わった。

■2  ツアーに参加するまでフィリピンには何の関心もなかったのが本音だ。フィリピンについて思ったことはたくさんある。キリスト教の国は、どこもそうなのかもしれないが宗教が生活に密接に関連していること。テレビなどで貧富の差がどんなにひどいか説明されてもわからなかったが実際に自分の目で見てどれだけひどいのか少しはわかったこと。夜のマニラも歩いてみて危なさそうな所?にも行ってみたが、言い方は悪いけどマニラの汚い部分も見れて今のマニラがあるんだなぁと魅力を感じた。

■3  このツアーでいろいろ学んだ。人や物、自分自身の大切さを改めて見つめ直したこと、違う国の人とコミュニケーションを取るのが簡単ではないけど難しくもないこと、生活や文化、歴史を理解しようとする気持ち。それと、ボランティアは大切で素晴らしいものだけどそれだけでは駄目だということにも気付かされた。ボランティアは継続性のあるものではない。もし、やるとするならビジネスとして毎日ボランティアを仕事として関わっていかなくてはいけないのではないかと感じた。このツアーの経験が自分の人生にどれだけの影響を与えてどう役立てるかは自分次第だが、自分の夢の一つである「社会に価値ある何かをする」ことをますます実現させねばと思った。あと、人生をもうちょっと楽しもうと思った。

参加者の声 5. Hiromi(21)

■1 とっても豊かな村と思った。不必要な物が何もなくて。日本にはない、何にでも感動できる心でいっばいだった。

■2 どこの国ににも言える事と思うけど、実際に訪れてみると、日本からじゃ見えないことがたくさんあって。それを現実として受け入れるには、ちょっと複雑な気持ちになった。

■3  どこにいても、いろいろな物事を、内側からも外側からも見つめられるように、またいつでも何にでも感動できる心を養っていきたい。

参加者の声 6. Takato(20)

スタディツアー:小学校で歌と劇を披露■1  一言ではいえないけどものすごく充実していて最高の旅行でした。みんな笑顔がよくて目がきれいで温かいところが一番印象に残った。ワークの時に椅子を作ったんだけど日本では椅子が欲しかったら店で買ったりするんだけど、むこうでは0から自分たちで作っているので生きていく強さみたいなものを感じた。ご飯でも商品として肉があるんじゃなくて生きているものを殺して食べるので日本では薄れがちになっているご飯をいただいているんだっていうような感謝の気持ちがわいてきた。あと物をものすごく大事にしているので見習うようにしよう。最初着いたときはもう暑さでバテバテだったけどやっぱり最後まで暑さにはあまり慣れなかった。あの島に住んでいる人の体力はホントにすごかった。タラバハン村は何もなくても僕がこれまでいった中で一番心の温かい村だったと思う。

■2  マニラの印象はあまり良くないっていうか良くない。それは財布を盗まれたのもあるんだけれども町がきれいじゃなかったし日本人を見るとお金をぼったくろうと思う人が多いことだ。特にタクシーなど。
今度から海外にいくときはウエストポーチにもカギをつけよう。人の印象としてはみんなギリギリの生活をしていると思った。特にスモーキーマウンテン。あそこの人らはなぜか人なつっこくて元気いっぱいなのに驚いた。あそこに一日ぐらいは住んでみたかったが匂いがちょっとねー……。

■3  ロオブは隣人を愛するっていうような意味だと思うんだけどその名のようにどんな人にたいしてもタラバハン村の人みたいにやさしく親切に接していきたいと思う。日本では物があまりにもいっぱいありすぎて物を大事にすることを忘れがちなので大事にしていこうと思う。自分の欲しい物で作れそうな物はできるだけ自分で作っていこうとも思った。

参加者の声 7. Hitomi(27)

■1 「水道がなく電気設備もあまり整っていないジャングル地帯でのホームステイ生活。現地の人はあまり英語を話さない。」とスタディーツアーの前はタラバハン村についてこのように聞いていた。「短い間だけど、きちんと生活していけるだろうか?ホストファミリーとコミュニケーションとれるだろうか?」と不安な気持ちのまま私のスタディーツアーは始まった。村では'郷に入れば郷に従え'とばかりに、私はトイレに置いてある便器洗浄用の水でシャワー代わりに水浴びをし、トイレの後はペーパーを使わず、その水で洗い流すという現地の人達と同じ生活を送った。そうしているうちに、「これって究極のユニットバスだ」とか、「これは手動式シャワートイレのようなものだ」と気付き、日本での日常生活と基本的には変わらないのだなと思った。その小さな気付きとホストファミリーの支えによって、私の村での生活はとても快適だった。

そんな村の生活の中で私が一番感動したことは、ホストファミリーと心の交流が出来たことである。私の拙いイロンゴとホストマザーの英語では言葉はあまり通じなかったが、ホストマザーは私をとてももてなしてくれたり、怪我をした時も泣くほど心配してくれた。私も最大限のその気持ちに応えようと、イロンゴをなるべく使って話したり、日本の着物を披露してホストに喜んでもらおうとした。別れの時にホストマザーが私のことをとても好きと言ってくれてとても嬉しかった。昼間のワークや交流プログラムを通して私がタラバハン村に何を残せたかを考えると、それはきっとちっぽけなものしか残せていないかもしれないが、ホストファミリーに心に交流の喜びを残すことは出来たと確信し、それだけでも来た甲斐があったと思う。そして私も心の交流の偉大さと喜びを知り、交流は言葉ではなく人として尊敬することだと学ぶことが出来た。

■2  マニラではスモーキーマウンテン付近で捨てられたゴミを分別しリサイクルして生活している人達、そして1つのコミュニティー全体がそのような仕事で生活をしていることに衝撃を受けた。その職業ではギリギリの収入しか得ることはできないが、リサイクルが叫ばれている世の中で、その職業はある意味最先端であるし、これから世の中にもっと認められるべき必要な職業であると思う。そのコミュニティーの人達はとても明るいため、きっと未来は開けそうだと思ったが、一方でゴミから出ている煙で体に影響を受けている人が多そうで心配だ。そういったことを含めた保健医療対策はどうなっているのか気になった。

■3  私は今回のスタディーツアーで国際協力には2つの種類があることがわかった。1つ目はその時に必要だが永久に使える訳ではない物を与えるなどの、その場しのぎの一時的な援助、2つ目は教育や技術指導などの、その地域の人がその人達だけの力で生きていけるような継続的な自立へ向けた援助である。
1つ目の援助に気付いたのは、別れ際にホストマザーに「懐中電灯ちょうだい。」と言われたことがきっかけであった。私は元々懐中電灯はあげる気ではなかったし、電池が切れたら終わりの懐中電灯をあげて何になるのだろうと、その時は戸惑った。でもよく考えてみると、ホストファミリーにとってはたとえ一時的にしか使えない物であっても、物に乏しいその地域では、今、必要な物であり、それを与えるのも援助だと思った。しかも、ただ物を与えるだけでは寂しいが、今回は物だけはなく、交流の喜びという心も残すことが出来たので、意味のある援助だとも思った。私は将来看護婦として国際協力をしたいと考えている。今回のスタディーツアーで学んだ2つの国際協力の形を生かして、一時的な物だけの援助も必要であると認識し、そんな協力の中にも心を残して、自分も相手も満足できる意味のある協力をしていきたい。